HIGH-FIVE編集長あべ『モノづくりに突き動かされた20年』についてインタビュー!
皆様、こんにちは!HIGH-FIVE編集部のかなです。
いつも向かいの席で大量の仕事をさらりとこなしている編集長あべ。何をやっても優しい眼差しで見守ってくださる仏のような存在です。
つぶやきシリーズの第1回目は、そんなあべに今までの経歴をインタビューしてみました。経験職種は、エンジニアにWebデザイナー、Webディレクターにマーケター…クリエイターの皆様、必見です!
かな いろいろなことを経験されてきたと聞いていますが、改めてあべさんの経歴を教えてください!
あべ 経歴ですね、はい。2001年に大学を卒業し、システム会社でSEプログラマーとしてキャリアをスタートしました。僕理系なんで、とにかくエンジニアになりたかったんですよ。エンジニアって響きがかっこいいじゃないですか。受かったときはテンションMAXでした(笑)
ただそこから3年後くらいかな。毎年300人くらい入社するんですけど、半分くらい辞めちゃって。あ、僕じゃなくてもこの仕事できるんだなって思ったんですよ。残業は何百時間…お金は貯まるんですけど、使う場所も時間もなくて。そんな時、20年後、30年後もこの会社にいる未来が見えないなーと思い、辞める決断をしました。
かな 夢が叶った喜びから一転、かなり過酷な環境だったんですね…
あべ そうなんです。それで2003年、世に広まり始めたWebデザイナーとしてフリーランスになり、広告代理店でアルバイトを始めました。併せて、スキルを磨くために専門学校も通いましたね。flashクリエイターも目指していました。今となっては・・・ですが(笑)。広告代理店では求人誌の企画・制作から始めてましました。当時はまだ紙の時代で、FromAやanなどの求人ページや企画など制作していて年間1500本くらいやっていたはず。お客様と同じビルにいたので階段ダッシュしてゲラを見せに行ってなかなかOKがでず、怒鳴られて…なかなかこちらもブラックでしたね(笑)
かな 社会に出た後、やりたいことのためにもう一度専門学校に行き直して、ってなかなかできない選択ですよね。
あべ ですね(笑)Webデザイナーになりたくて会社を辞めて、右も左もわからない状態だので、とりあえず学校に通う。うん、がんばって決断したんだと思います。
そのあと、初めてWebディレクター兼デザイナーとして仕事を任せてもらえたんです。親会社のコーポレートサイトの立ち上げで実績をつくり、Web制作・マーケティング事業部を立ち上げて、Web系の新しい仕事の獲得をしていました。アルバイト入社から3年ほどで取締役に就任し、事業立ち上げ・人事・経営も経験しましたね。30人くらいの会社でしたからサークル感は強かったですけどね(笑)。
実はこのころ僕ぎらぎらしていて…新人を6時間くらいガン詰めしたりとか・・・ぜんぜん自慢できることではないですが(笑)当時は怒りが力になると思ってたんですよね。ただエネルギー消費も激しく長持ちはしないですよね。
かな 今の穏やかなあべさんからは全く想像できないです…
あべ 僕も信じられないです(笑)このころは同年代と比べてもそこそこお給料もいただいていたし、調子に乗ってたんでしょうね。嫌な奴です(笑)無双状態で、僕絶対失敗しない、何でも来いって思ってましたね~。
そのあと、2008年。親会社からスピンアウトして何人かのメンバーと一緒に新会社として独立するんですけど、ここでリーマンショック。求人が世の中から無くなり求人広告代理店としては厳しい時代になりました。赤字ではなかったんですけど、ぎりぎりの状態で経営してましたが限界も感じていました。その時に経営者仲間だった友人社長に声をかけてもらい、別会社に事業譲渡のかたちで全員移籍したんです。
かな 会社や環境が変わったり、かなりバタバタされていた時期ですね。
新しい会社も大変でした・・債務超過だったんです(笑)。既存事業のシステム開発が厳しくなり、サイドビズネスで行っていた事業へシフト。メンバー5人で再スタートし、業務用コンピュータと呼ばれるサーバー・ストレージ・ネットワーク機器の第三者保守事業の立ち上げをすることに。日本には存在しなかったサービスでしたので完全な砂漠状態からのスタートです。もちろん実績はないので、社長のビジョンが商品です。こういう世の中にしたい!をどうサービスにして、どう共感してもらい、どう買ってもらうのかを日々考えていました。ゼロベースで仕事を丸投げされても怖いと思わないのは、この時の経験が生きているからでしょうね。
おかげ様で何年かすると、事業も軌道に乗ってきました。従業員も120名ほどとなり、年商も15億円を超えてきました。この会社でもマーケティングを軸に、自社Webサイトのプロデュース、コンテンツマーケティング、サービスデリバリーの構築、人事など経験。一通り任せられる人材も育成し経営も安定。僕としては大きな変化がない状態になってきたんです。個人としての目標も見えづらくなってしまって。腐りかけてました(笑)自分て何者なんだろう、本当は何がしたいんだろうって考えるようになって。
でもそんな腐っている毎日の中でも、自分の子供が上手にウンチしたり、立ったり歩いたりして、日々成長していることに感動があって。その一瞬一瞬が楽しかったんです。なるほどな、ちっちゃくてもいいから日々の感動を見つけ、それが積み重なって人生の、心の豊かさになるんだな、自分はそんな人生を歩んでいきたいんだなとここで気付きました。
自分がやってきたマーケティングは人の心を動かす仕事、人を感動させられる仕事。やっぱりこれもやっていこうとここで決めました。こんなにも自分を見つめなおしてなんてことがなかったので、40年間の中で一番濃い一年だったかもしれません。
かな いろいろなご経験をされてきた中で、やっぱりクリエイターでありたいと確信されたんですね!
あべ そうなんです。クリエイターとして世の中に感動を発信していきたい!と思った時に出会ったのが現在のクリーク・アンド・リバー社なんです。『クリエイターの生涯価値向上』といったミッションを掲げている点にとても共感できました。
クリーク・アンド・リバー社では、シニアディレクターとしてtoB,toC両方のマーケティングを担っています。新期部署の立ち上げに関わり、事業戦略からの自社サービスサイト、オウンドメディア、求人サイトなどの企画・制作・運営を行っています。ここでHIGH-FIVEやHIGH-FIVEクリエイター転職ができたんですね。
この会社に入って驚いたのは、僕以外はエージェントばっかりだったこと。入社前に聞いてはいましたが、やや不安はありましたね。今はクリエイティブメンバーも増えまして当たり前のように3人でサイトのレビューを行ったりしていますが、少し前までは僕一人。同じ目線で話をできる人が他にいなかった。
で、お二人が来てくれて。ああ仲間がいるっていいなって今実感しています。世代も3人とも違いますしね。毎日刺激もらってますよ(笑)
最近では、プロデューサー的な立ち位置でメンバーの提案や感性を引き出していくことに注力しています。正直なところ時代は動いていることを実感します。若い方の感性に合わせていくこのと重要性はひしひしと感じています。僕の役割はそれらを自分の経験を活かして形にしていくことができたらなと、そう思っています!
かな 毎日あべさんから沢山のことを教えてもらっています。常に未来を見据えて、この先自分がどうなりたいか。考えて考えて、慎重に決断と選択をしてきたからこそ自己実現ができているんだなと感じました。今日はありがとうございました!
次回は編集部メンバー・ゆうさんにインタビューです!
最後までお付き合いいただきありがとうございました。