アベ&ケンのルーツを探る|ウェブクリエイター本音でトーク 会社じゃ話せないハナシ
こんにちは、「はいふぁい」編集部です。
Webディレクター・マーケティングなどを行っているクリーク・アンド・リバー社シニアディレクター「アベ」と、フリーランスWebデザイナー・エンジニア「ケン」が、会社じゃ話せないホンネや実体験から得られたノウハウ&教訓をお伝えしていきます!
父親がエンジニア、母親が漫画家、兄もエンジニア。クリエイター一家に生まれて。
編:前回はお二人のキャリアをざっとお聞きしてきましたが、今回はそんなクリエイターのお二人のルーツを探りたいと思っています。
ア:おっ!
編:はい。育ったバックグラウンドなどをお聞かせいただくことで、今のキャリアと紐づく部分があるのか知っていく回でございます。まず、アベさんのご両親はどういったお仕事をされていたんですか?
ア:僕のところは、父がエンジニアで母が漫画家だったんですよ。それで、うちの兄が車の部品の設計をしていまして、家族全員クリエイティブ職なんですよね。
ケ:ものづくり一家なんですね~。
ア:そうそう、特に僕は母親の影響がとても強くて、家の中は絵がたくさんありました。山下清、棟方志功、ミュシャやらパピルスに描かれたエジプトチックなもの、母が描いた少女漫画イラスト、僕ら兄弟の肖像画とかね。漫画本もたくさんあって物心ついたときには、白戸三平とか手塚治虫とかわけも分からず見てました。笑
編:えーすごいですね!いや、かなり特殊な家庭ですね。
ア:で、確か母は・・・りぼんだだったか少女誌で連載もしていたようです。
編:!?えっ、私「りぼん」派でした!「ちゃお」とか「なかよし」とかある中で、「りぼん」読んでました(今日一のテンションの上がり様)
ア:あっそうなんですね!
ルーツを辿ると全て母親に行き着く。母親あってこその今の自分。
ケ:えっ連載を持ってたってめちゃめちゃすごいじゃないですか。
ア:ありがとうございます。兄貴がどっちかっていうと父寄りでエンジニア気質、僕が母みたいに感性使った仕事なので兄弟でも分かれてるんですよ。
編:なるほど~。DNAがもう受け継がれてるんですね、ちゃんと。
ア:そう~だからそういったバックボーンがあって、自分が存在しているという感じあはありますね。
ケ:なんか漫画家っていうキャリアも選択肢に入ってきそうな感じですけどね、今お話聞いている感じ。
ア:そう。フリーで仕事始めたときは実はイラストレーターのお仕事も少しだけさせていただいていて。でも漫画はムリ、描けない(笑)
ア:大学生が中心で活動しているNPO団体のポスターを描いたりとかしていました。
ケ&編:へ~!
編:いやーお話聞いていると、アベさんの場合はお母様の影響がとても大きいように思いました!
ア:はい(笑)。僕もそう思ってます。
小学校3年生から卓球の道へ
編:ケンさんの幼少期はどんな感じだったんでしょうか?
ケ:小学校の時は、いわゆる”目立つグループ”みたいなところでわちゃわちゃしてました。
編:...!今のお姿からは想像がつきませんが...。
ケ:ちびっ子たちがいるのに公園でエアガンで遊んだり(笑)
一同(笑)。
ケ:で、ちびっ子たちの親御さんに怒られたり、学校に苦情がきたりしてました。
ア:え~そうなんだ、なんか本当意外。
中学生で迎えた、物事を一つ頑張ろうな時期
ケ:そうなんすよ、で、中学あがった頃くらいから「ちゃんと卓球やろう」ってなりました。
編:これまでの行いを改める的な感じでしょうか?
ケ:そうです(笑)ちゃらんぽらんしてばっかいないで、物事を一つ頑張ろうみたいな時期だったっぽいです。
編:ほえー。でもなんか真面目ですよね?
ア:うんうん。
ケ:で、小学校の時につるんでいた友達とかは中、高校とヤンチャしてました。今は地元の人と結婚していますけど。まぁそれもまた一つの人生の在り方なんですけどね。
編:ケンさんは卓球一つで中、高と進学されていますよね。それがまたご自身の本気度を感じます。
ア:いや~スポーツで進学ってすごいですよね。
ケ:ありがとうございます(笑)なので僕の幼少期~10代にかけては、ずっと卓球人生でした。
編:アベさんはお母様の仕事が直接ご自身の感性に影響を与え、ケンヤさんは卓球を通して仲間づくりや自己の確立ができたというお話しでした。ここまでお話しして来てどうですか?
ア:これがどんな記事になるのか分からない(笑)
ケ:御意!(笑)
編:記事はお二人もお楽しみという事で(笑)今回はお二人の貴重な幼少期~十代についてお話を伺いました。ありがとうございました~!
ア&ケ:ありがとうございました!
編:それでは次回もお楽しみに!
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