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絶望するほどポンコツ営業だったわたしが、転職してコンテンツディレクターになり会社に行くのが楽しみになるまでの話

ああ、だめだ。場違いだ。とんでもない会社に入ってしまった。
わたし、一生かかっても先輩たちみたいになれる気がしない。

社会人1年目、ある人材系の会社に新卒で入社したわたしは絶望していた。

編集部の、ゆうと申します。このnoteには、自他ともに絶望するくらいポンコツ営業だったわたしが、キャリアチェンジを伴う転職を経て、自己実現できるようになるプロセスを書きました。

自分が働いてきたプロセスを可視化したテキストですが、次のような境遇にある人たちに共感してもらえたらうれしいです。ぜんぶ過去のわたしの姿です。

・希望と違う部署に配属されて苦しんでいる
・与えられた仕事を達成することがどうしてもできずつらい
・転職や異動は逃げなのでは?と思ってしまっている


周りが当然のようにできることが、自分だけできなかった

入社動機は完全なる憧れだった。興味を持ったきっかけは、小さい頃から「ことばで人の心を動かす」ことが好きで、リクナビを見ていたときそういえば人材募集の記事をつくるのも「ことばで人を動かす仕事」じゃん!と気づいたこと。

そして採用説明会に参加すると、大好きだった部活の先輩に似たカッコよくて面白くてキラキラした先輩が男女問わずたくさんいて、この人たちと一緒に働きたい!とダメ元で記念受験したらトントン拍子で内定が出てしまった。

あらかじめ初期配属は全員営業だと聞かされていたが、当時は担当営業が制作まで担っていたので、記事を作るためならきっと営業も頑張れると思っていた。それに営業が強い会社だったので、逆にスーパー営業育成マニュアルのようなものがあるのでは?あんなにトントン拍子で内定が出たのだし、さすがに望み薄な人間は初めから採用しないのでは?とも思っていた。

結果からいえば、残念ながら、わたしは本当に、びっくりするくらい営業に向いていなかった。スーパー営業育成マニュアルは存在せず、カッコよくて面白くてキラキラした先輩たちは、あくまで地道な営業活動を泥くさく積み上げた結果、クライアントの信頼を勝ち取り、売れていた。それを目の当たりにした。

とにもかくにも電話をかけ、必要があれば訪問し、喜んでもらえるようなお役立ち情報を提供し続け、バイトを募集したくなったら絶対自分に連絡してもらえるような状況をつくる。言語化すれば本当に単純なことなのに、わたしはその単純なことがどうしてもできなかった。

それなのに、先輩たちは根気強く何度も向き合ってくれたし、同時に叩き込まれた(営業以外の)ビジネスパーソンとしての素養は今でも役に立っているので、教え方が悪いとかそういうものではないと思う。

そんなわたしでもごくまれにラッキー受注をすることはあって、作った原稿だけは褒められることがあった。クライアントが「やっと採用できたよ~ほんと助かったよ~」と電話をくれたことと、さらに先輩に「ゆう(※下の名前で呼ぶ文化の会社だった)は営業としてはまじでポンコツだけど、原稿に関しては信頼できっからな~」と何気なく言われたことを今でも覚えている。

しぬほど嬉しかった半面、この会社にいる限り原稿だけ褒められていてもだめなことはわかっていたし、ポンコツな自分を見捨てず面倒を見てくれる大好きだった先輩たちに、売上という形では貢献できない自分がとても苦しかった。

「できるようになるのがわかる」という初めての経験

それから3年後、わたしは転職して学生向けメディアの広告記事制作ディレクターになった。こんなポンコツなわたしを採用してくれる会社なんてあるんか?という気持ちも、営業として成長して先輩たちに報いることから逃げたくないという気持ちもあったけれど、自分が好きなことかつ、唯一褒められていた「原稿」をメインの仕事にして、自己実現したい気持ちが勝った。

ええい!原稿制作を仕事にさえさせてくれたら!年収下がるのも労働環境が悪くなるのも覚悟の上!!といざ転職活動を始めたら、制作ディレクターとしての経験はないにも関わらず「営業の目線を知っている制作」として評価してもらえた。有難いことに年収は下がらなかったし、労働環境も悪くなかった。上司や周囲の同僚たちにも恵まれた。

転職して一番驚いたのは、自分がメキメキ成長しているのがわかることだった。先輩や上司の言っていることが理解できて、体現できる。失敗しても改善できるし、足りなかったものは次回からカバーできる。プラスアルファとして自分の考えを乗せてやってみたことを、「お、いいじゃん~!」と褒めてもらえる。

かつて、営業だった頃は教わったことを理解はできても体現はできなかったのに、制作ディレクターの仕事ではそれがスルスルとできてしまうように自分では感じていた。

その会社には約6年間勤めて、先輩たちのご指導もあって有難いことに主任を任せていただけるまでになり、退職前には課長職も打診していただけた。自分の考えに変化があり、再び転職して今に至るが、わたしに「制作ディレクター」の肩書きを与えて育ててくれた前職には本当に出会えて良かったし、感謝している。

中身は変わってない。変えたのは仕事だけ

社会人になって営業から転職するまでの3年間、先輩の教えが理解できるレベルにわたしの頭が急成長したわけでも、何かの自己啓発セミナーに通ったわけでもない。わたしの中身は全く変わっておらず、恥ずかしながら転職直前の最後の最後まで怒られていた。「もー!ほんとに3年目!?」というのが先輩たちの口癖だった。

人にはそれぞれ向き不向きがある。今の仕事ができないからといって、他の仕事もできないとは限らない。やってみないとわからない、思わぬ才能があるかもしれない。今の仕事しか知らない社会人1年目は特に、絶望する必要は微塵もないとわたしは思う。

もちろん経験を積むことで見えてくるものもあるので、短期離職は決しておすすめしないけれど、今の仕事に精一杯向き合ってそれでも限界を感じたなら、前向きなキャリアチェンジを考えるのは決して逃げではない。

わたしの中身は変わっていないし、1社目も2社目も人に恵まれていたことは同じなのに、「仕事で成長することができる」というだけで見える景色ががらっと変わった。長期休暇中に「そろそろ仕事したいな~」なんて考える日がくるなんて思ってもみなかった。

もし、今どうしても仕事ができなくてつらい人がいたら、勇気を出して仕事を変えてみることを検討してみても良いかもしれない。こんなキャリアを歩んでいる人もいるということが、苦しむどなたかの参考に少しでもなりますように。

最後に、社会人1年目5月のわたしへ

このnoteの最後に、社会人1年目の自分に手紙を書いて締めたいと思います。

今ごろトイレで隠れて泣いてる頃かな。それとももうトイレに隠れる余裕もなくなって、デスクでズビズビ泣きながら仕事するようになった頃かな。できない自分を知られたくないし、先輩たちをこれ以上失望させるのもつらくて、とにかく自分を守ることに必死だったように思います。

今わたしは、営業ではなくコンテンツディレクターとして、楽しく充実した日々を送ってるよ。毎日原稿触ってても怒られないし、むしろどんな記事なら反響があるか考えることがミッション。会社に行くのが楽しみな日がくるなんて今は考えられないと思うけど、ちゃんと来るよ。

期初に立てた目標記事本数を見るとウッとなるけど(ちょっと背伸びした目標を立ててしまった)(背伸びした目標を立てるわたしになるよ!!信じられんと思うけど!!)、例え締切に追われていても、しぬほど緊張する取材があっても、ずっと「ことばで人の心を動かす」ことを考えていられる環境はとても幸せで、有難いなあと思いながら日々働いています。

それもこれも、あなたがちゃんと会社にいって、先輩たちと必死の思いで向き合いながら、社会人として必要な素養の種を受け取ってきてくれたおかげ。あなたが種を受け取ってくれたから、次のキャリアで芽吹かせることができて、職種を変えた今もわたしを助けてくれているよ。

絶対に無駄にならないから、たくさん気分転換して、たくさん周りの人に頼って、信じて進み続けてね。待ってるよ。

(文:編集部ゆう)

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