ものづくりをするひとたちの脳内に巣食う”アレ”の存在に初めて気づいたお話
編集部ゆうと申します。
本noteは、IT・Webクリエイター専門の転職支援メディアのコンテンツディレクターとして働くわたしが、ものづくりをするひとたちの脳内に巣食う”アレ”について考えた日記です。
noteが書けない
前回の締切からあっという間に日がたち、もう次の締切日になってしまった。
初回(前回)は「まずnoteに慣れる」を目標にあのようなゆるゆる投稿で許してもらったが、仮にも編集制作を生業とする者として毎回とは流石にいかない。「ゆうさんそれ個人ブログでやってください」になってしまう。
正確には書けないわけではない。書ける。現に今こうしてキーボードを叩いている。けど、「書けない」のだ。「書ける」ときには、指が勝手に動いてあとからあとから言葉が浮かんでくる。あの感覚を知っていればこの状況が「書けない」モードであることは明らかなのだ、残念ながら。
1つ向こうのデスクのあの人、ず~~~~っとPCとにらめっこしてるわたしを絶対サボってると思ってるんだろうな、知ってるんやで、今さりげなく後ろ通ったとき「エッこの人Twitterみてる……」って思ったでしょ、ええ見てましたけど、何かクリエイターっぽいネタが欲しくて必死で見てましたけどそれが何か……とひねくれた思考が首をもたげる。
「それって何か面白いの?」
1つ前の投稿で「お題があればサクサク書ける」と書いたし実際多分そうなのだけど、せっかくHIGH-FIVE編集部の中の人その3(入社順)として自由にnoteを書く場をいただいたからには、いちいち誰かにお題を出してもらわずとも「中の人」としてスイスイ「中の人秘話」を書けるようになりたいところである。
「じゃあ自分で自分にお題出しちゃえばいいじゃん」と思ったそこのあなた。いい質問ですね。
これはテストに出るので早々に答えを言ってしまうと、自分で自分にお題をだすと「それ何か面白いの?」が邪魔をするのだ。
寝る間も惜しんで読んだ本や漫画、推しの素晴らしいパフォーマンスへの賛辞はもちろん、就活でつらかったこと嬉しかったことなどとにかく感じたことを片っ端から文字で書きなぐっていた学生は、社会人になって広告記事を作る仕事に就いた。
クライアントが届けたい情報、すなわち「今回のお題」をユーザーが欲しい形に整えて発信することが仕事になり、ユーザーの心が動いた結果として”お題元”であるクライアントが喜んでくれることこそが、いつの間にかわたしが「書く」「作る」上での原動力となった。そこに「わたしのお気持ち」が入る隙は要らないのだ。
「書く」力はある種の筋肉なので、書かないとすぐに衰えていく。もともと自分の胸の内を「紡ぐ」より良いと思ったモノコトを誰かに「伝える」ことのほうが好きだったけれど、「情報メディアで広告記事を作る」を仕事にしたことでどうやら「”伝えてほしい”というお題に応える」ことに脳みそが完全特化したらしい。
と今思った。(今)
だから、お題もなくただつらつらと「わたし」のことを発信しようとすると「わたしのお気持ちを表明したところで誰か喜ぶの?」とささやく声がするのだ。
ものづくりをしている人たちは、皆「あいつ」に悩まされている
ここまで書いて、ふと昔観た[title of show]というミュージカルを思い出した。
ミュージカル制作のバックステージを描いたミュージカル(ややこしい)なのだが、その中の「Die Vampire, Die!(邦題:くたばれヴァンパイア!)」という曲の一節にこんな内容があった。
※日本語版の歌詞を覚えていないので本国版英語詞のざっくり和訳
(そんな悪魔の囁き=”ヴァンパイア”はやっつけちゃいなさい!という歌)
そっか。これ、「クリエイターあるある」だったんだ。
同作品を観ていた舞台制作の仕事をしている友人がめちゃくちゃ泣いていたことに、今やっと合点がいった。いや良い曲だな~とは思うけど、どっちかっていうとポップな曲だし、そんな?泣くほどに?と思っていた。まさか8年(!)も経った今こんなに沁みるこちになろうとは。
お題のあるなし関わらず、ものづくりをしている人たち皆が「こんなの良いと思ってくれる人いるのかな」「本当に役に立つのかな」という内なる“ヴァンパイア”の声を必死に振り払い、世に出して、それこそ筋トレのように繰り返し磨き上げて、また次の作品に活かしていく。逆に言えば、その作業なしに人の心を動かすものは作れないのだろう。
わたしの本業は「HIGH-FIVEを好きになってもらう」をお題としたコンテンツづくりだけど、これを機に自分もいちクリエイターとして(照れちゃう)お題のない投稿もつらつら書く練習をしてみようかな。書く力の筋トレも兼ねて。